昭和59年07月18日 月次祭



 先日この前の13日会の模様をテープに入れてございますから、それを聞かせて頂いておりました。いろんな会合で皆さんが発表なさる。最近著しい皆さんの御信心の進みと言うか、理解力が出来られたなと、一人一人の発表を聞かせて頂きながら、まぁ関心致しました。本当にまぁようもここまで、言わば御理念のマスターしておらなければ、あぁ言う発表も出来ないだろうと思われる様な、皆さん素晴らしいお話を聞かせて頂いて、神様にお礼を申させて頂いておりましたら。大根畑を頂きます。
 私共が小学校の時に、草野小学校ですから生徒一人一人ひとうねずつ頂いて。そこにまぁ大根とかキャベツとかをまぁ作る訳です。まぁ品評会などがありますと、まぁ自分の作ったものをだす。葉も生き生きとこうしこっておる。見たとこる根が少し出てるところもこんなに大きくて立派に出来ておるようですから、それをこう引っこ抜いてみますと、下の方は二股になって居ったり、またはこうゆがんでおったり、なかなか品評会に出せる様なのはございませんでした。
 あぁあの時分に私しは百姓したことはないから分りませんから、もう殆ど農家の家の友達に畝を耕してもらうのも、まぁいろんな第一私しは農業科の本を持ちませんでした。でまぁ先生がどうして本をもたんか、私は百姓せんから本は入りませんちゅうて。まぁ偏屈な子供だったと思います。と言う様にその代りに出来たた時にそれを売りさばかなければなりません。それで友達と約束をして、お前のが出来たら売るとは俺が売ってやるからね、というて言う様な事でその自分でよく致しません。
 それで品評会出せれる様な勿論いいものも出来ませんでした。そういう情景を頂いて私しは、なるほど葉は生き生きとして虫も着かん様に立派に出来ておる。ちと見てみろと出ておる所は大きくてこの大根は立派だろうと思うて引き抜いてみると、下の方はいわゆるゆがんだり二股になったりしておる。私が皆さんのお話を聞かせてもろうて、本当にまぁ神様のお育てお頂いておられると思うて、有り難いと思わして頂いておる私しに、そう言う事を教えて下さったと言うのはどう言う事だと、皆さん思われますか。
 なるほど合楽理念のマスターも出来た。一通り人にお話も出来る様になった。又実際おかげも頂いておるけれども。私はそれを頂いてから思うたのに、これほどしの事が話せまた言われ、分っておるならば、おかげ方がまちっとましなおかげになっておらなければいけないなぁ。見掛は立派にして大根のまぁ植わっておるところを見ると、こう立派なように見え引っこ抜いてみなきゃわからない。ぐらいのお互いの信心内容というものが、まだまだ修行が足りないので本当なものじゃないんだなぁと言った様な事。
 こりゃまぁ私しを始め皆さんもそこんところを考えて見なければならない。いわゆる内容を本当に御理念を分らせて頂いておるのと同んなじように、その御理念の内容もおかげの味わいと言うか、頂きまた現して行かなきゃいけないなと言った様な事を思うたのです。そんならまぁいうならこれほどしの信心をしておるのに、そのどういう信心をしたらいいだろうかとまぁ思われる方もあるかも知れませんが。
 結局私しはその事を、内容と言う事に付いて教導はどう言う風にしたらいいのだろうか、分らなければならんのだろうか。結局私しは滋味豊かと言う事、まだまだその豊かさに欠けておるんだと言う事である。言うならどろの信心が本当に徹底して頂かれていないんだと、耕しも深くしなければ深いいうなら根は降りません。またそれに適当な肥料を施さなければなりませんが。見かけだけはまぁ形の上では合楽の御信者、いわばあの皆さんの発表聞いておっても際立っておるんですね。
 分かられた内容と言うものが。だからそのようにならおかげの方も際立ったおかげになって行かなければならない。それにはもっともっと信心しようの内容を思うて見なければならない。いうならば滋味豊かな土地によい作物が出来ます様にもっともっと、とかくに信心は地を肥やせ、地が肥えておればひとりでに物が出来るようなものじゃと仰る様な、ひとりでに物が出来る様なおかげまで、お互いの信心を一歩又前進しなければ、内容的にしなければいけないと言う事でございます。
 私はそのう13日会の皆さんの発表を、一人一人聞かせて頂いて。なかに印象深く頂きましたのは、久冨繁雄さんが発表しておられるお話でございました。例えのお話をしておられます、お母さんがほんとに忙しい、暫く洗濯をせんならん。大きい方の子供に暫く子供をおもりしょってくれ、おんぶしとってくれ一時間ばっかりで良いから負うとってくれ。ただはいっていうてまぁおんぶしたのは良かったけれども、3,40分もたったらもう降ろしてよかの降ろしてよかのちいうてやって来る。
 もうあんたばっかりゃほんというて、ならもうお母さんがおんぶしてからするけんちゅうて、まぁいうなら腹掻いた様にして親が子供を子供の背中から受け取ると言うのです。又ある子共はお母さんが、一時間ばっかりおんぶしとってくれというたから、一時間十分くらいまぁおまけしておうとこう、そしてもうお母さんよかのちゅって、はぁもうよか洗濯だけじゃない、あれもおかげで片付いた。
 あんたがもうりしてくれよったけんでお母さん助かった、と言うてまぁ取って置きのおやつを、まぁでも子供にやるだろうと言う様な言うな話をしておられました。私がそんな話を聞きながら、あぁこれがお道の信心のおかげの真理だなぁと思いました。皆さん親先生があぁいわれるからと言うて一応は背中におんぶしてするでしょう。所が暫くすると辛抱が出来ずに、もう降ろしてよかの降ろしてよかのと言っておる様な事はないだろうか、なかには一時間でよかと言うとった母親がね。
 一時間というから一時間十分おまけしたような、ま親の言う事を聞く御用をさして貰う。それこそ雨の降る日はおじゃるなと言うに、濡れておじゃれば尚可愛いと。そういう尚可愛いと言う神様の特別の、そのおやつが頂かれる信心、それを繁雄さんの信心話の中から私しは感じました。はぁこういう生き方はお道の信心のおかげを頂く、おかげの真理だなと思いました。
 こりゃもうほんとにお互い思うて見なければいけません。おんぶしておる例えば難儀なら難儀というもの。早う降ろしてくれ降ろしてくれと言っておる様な事はないだろうか。それが親のためにともあるならば、親の御用の御都合の終わるのを待たせて頂くと言った様な信心。いうならばそういう信心がいよいよ心を滋味に豊かにしていくのではなかろうかと言う風に思います。まぁ繁雄さんのお話ばかりになりますけども。
今日は何時もですけども月次祭の日は朝からずうっと御用も頂き続けておって下さる。子供達と4時の終わってから挨拶に出て来てくれる。今毎日の日々の夏期信行の御理解を、私しが頂いておる事を書きとめさして貰って、4人の兄弟たちにこの簡単明瞭に言われておる意味が分かるか。あんた達が納得し分らなければ、説明してあげる事も出来ない。ほんと言うたら矢張り難しい。くどくどと説明してない、簡単明瞭にしてあるから。でま、親子でそれをいろいろ。
 皆んなの意見を聞いたり、私しの頭の中に描いとる御理解を写させたりま致しております。今日のところは2,3日後にもなるかもしれませんが。とかく信心は地を肥やせ、またはみだりに御地内を汚すなよ。と言った様な御教えがございますね。簡単に御地内を汚さないと。それは天地を神様のお姿として、お心として拝まして頂いておる私達にとってみれば、なるほど御地内をみだりに汚すなと言う意味が解ります。
 けれどもそのみだりに汚さないと言う事。私は数年前にその御理解を頂いておる御理解を、あの教典感話に載っておりますとを全部読んで貰っていわゆる聞いておりますけれども。まぁ言うならばその御理念じゃ汚すなよと言う様な事でももう、あらゆる角度からまぁ言われるなら説かれております。なかに私の祖母の話を例話にして、その日の御理解にしてあるところを聞いたんですけれども。
 私子供の時に遊んでおってころんで、こう膝を打ち割ったりして怪我を致します。そうすと婆はすぐそのお土をそこの傷口に塗って、生神金光大神様生神金光大神様。言うならばお土を大切にすると言うだけではなくて、大地を拝んでおると言うだけではなくて、その泥の姿をそのまま神様のお姿として頂いて。言うならば傷口へと塗ってくれてるその、理屈の事は分らないでしょうけれども、いわばあの素朴な私しは今日はね、地味豊かな信心と言うなことを、皆さんに今日は聞いて頂いとるわけですけれど。
 その分っておると言うだけではなくて、わかっておるならばこうせずにはおられない。御地内をみだりに汚すことはできない。理屈一切れの御土地でも頂かずぬにおれない。久富繁雄さんのまだお若い時分、信心初めの頃に言われた話を、今でも今日はありありとこう思い出させて頂いたんですけれども。信心のない間は本当に天地に対して御粗末御無礼ばかりしておりました。
 百姓しとりゃやっぱり、今頃はもうそのんなこたぁないでしょうけれども、あの肥しをね、糞尿をこう大地に撒くのです。そういう汚いものを大地に持って行く時に、私しは今までの様な訳にはまいりません。神様ちょっと避けといて下さい、いうてあのうま肥しを掛けますと言った様な、ま話をされたことを覚えますね。お土地いわば大地を大切にする、大事に汚さんと言った様な事でなくて。
 もう一つその向こうにあるのが、私は豊かな言わば滋味豊かないわば、いよいよ心が理屈ではない育って行っておるというのじゃないでしょうか。お互いの信心をね。本当にまぁ言うなら分る事は分った。どこでお話をしても成程合楽の竹内先生の、この頃四国にお出でられての講演、それのお礼の手紙が次々と参りますそうです。そのお手紙の一節に、こういう方を育てられた親先生と言う方はどんなお方であろうかと。
 例のお宝が出てきますね。ですから親先生が言っておる事、私しがこうしてお広前を下がらしてもろうて御用が出来ませんですけれども。みなさんが何か最近はより一段とそうした信心修行に取り組んで、あぁ言う一人一人が御話しが出来ていなさる様な、信心内容が育って行っていると言う事は、もうほんとに有り難いこと。とてもとてもあちらこちらの御信者さんの話を聞いてもこんな話は聞かれない。
 と言う程しに分っておられるのです来られたのですから。それを一つ一層滋味豊かなものに育てて行く事のために、いよいよもうすこし深く掘り下げさせてもらう、もう少し肥料を適当に入れさして貰う。私共の生活の中には様々な、あぁこういう時に信心を深めて行かなきゃならんのだなぁ。はぁこういうこの事が肥料になるのだなぁと言った様なことに直面致します。例えば嫌な事腹の立つ事はがゆい事色々あります。
 それをなら神愛と受けてね。それを自分の心が豊かになる事のための肥料と思うて、頂いたらお礼が言えれる。そういう信心をもう一段、徹底させて頂きましたら、私しは皆さんの話を聞いて感心したように、但し神様の目からご覧になると、葉は立派にある付根のところは立派な大根の様にあるからいうて引き抜いてみると、下の方は二股であったり歪んダリしておると言った様な事のない。
 それこそどこの品評会に出しても賞が受けれれる。思える様なね。ひとつ信心をいよいよま座さして頂いて。分っておりますともう自分で受け取るかのような錯覚が出来ます。だからそれを本当に自分の血肉になって、しかもそれがおかげまで繋がって行く様なおかげを頂けるところまで。言うなら力から徳を受けて行く、行けれる信心をいよいよ目指して頂きたいと思います。
   どうぞよろしくお願い致します。